ドロミテの山容世界最高峰エベレストを間近に仰ぐ展望地カラパタール(5,545m)へ

2019.01.10

シェルパ族のふるさとナムチェ村を目指して


まずはネパールの首都カトマンズから国内線でエベレスト街道玄関口のルクラ(2,840m)へ向かいます。カトマンズを飛び上がると直ぐに窓からランタン山群の雪山が見えます。6,000m~7,000mの山脈は途切れることなく、中国国境沿いに屏風のよう雪山が続く、40分ほどの短いフライトではあるが、飛び立った直後から到着まで終始、雪山の高峰が臨めるのは世界中探してもそう多くはありません。最高の山岳展望遊覧飛行です。
トレッキングは、到着したルクラからスタートになるが、途中、小さな村落を何度も通過して、人々の暮らしの様子を見ながら山中2泊でエベレスト街道の中で最も大きいシェルパ族村・ナムチェ(3,440m)に着きます。途中の村々の人々の様子を見ていると昔、日本でもよく見かけた風景がそこにあり、懐かしさを感じます。
高所トレッキングは、毎日、ゆっくりと高所順応しながらのんびりと登るのが基本であるから途中の村でチャイを飲んで休憩したりしながら寄り道をして目的地を目指します。ビスターリー(ネパール語でゆっくりの意味)なトレッキングです。
ナムチェに着くと世界最高峰エベレストが展望できるが、ここはエベレストだけではない。360度、山岳展望ができる最高の別天地です。もうナムチェに来ただけでも十分にクンブ山群の山々を堪能でき、ここで折り返しても良いくらいのところでもあります。
ナムチェの丘からエベレスト方向にまだまだ谷が続くのが見えます。その続く谷こそがエベレストベースキャンプ、カラパタールへ続く街道です。

すり鉢状に広がるナムチェの村とコンデリ(6,187m)

世界最高峰エベレスト初登頂の歴史


英国が1921年に第一次エベレスト遠征隊をチベット側へ送り込み、ノース・コル(標高7,020m)に至るルートを偵察しました。翌年、第二次遠征隊が送り込まれ残念ながら登頂はできなかったが、続けて、1924年に第三次遠征隊が送り込まれています。第三次遠征隊のジョージ・マロリーとアンドリュー・アーヴィンは、第6キャンプ(最終)を出発し、頂上直下の北東稜の上部付近を登っている姿を目撃されたのを最後に消息不明になりました。これが、のちに「果たしてマロリーは、エベレストの山頂に至ったのか?」という謎を生むことになります。9年後の1933年、第四次遠征隊がアーヴィンのアイス・アックスを山頂付近で発見。また、マロリーも75年後の1999年にエベレスト山頂付近にて遺体が発見されていますが、謎の解明には至っていません。その後、世界大戦などの世界的混乱の中でもエベレストへの遠征は断続的に続くものの登頂には至りませんでした。転機は、ネパール側の1949年、鎖国を解いたことが切っ掛けで各国、ネパール側からの登頂ルートを模索することとなります。そして、ついに英国隊が1953年、エドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイがエベレスト初登頂に成功しました。英国の第一次エベレスト遠征隊から実に32年後の登頂成功となりました。 その後も現在に至るまで世界中の登山家がエベレストの山頂を目指して数えきれないほど遠征をおこなっているが、空気の薄い8,000mの高所は、人を寄せ付けず、また、極寒や強風などに阻まれながら様々な悲劇も刻んできました。そのどんな遠征隊の物語も全ては、このエベレスト街道を歩くことから始まっていると考えると感慨深いです。

数々の登山隊が訪れたエベレストのベースキャンプ

富士山よりも高い標高を越えて5,000mの高所領域へ


ナムチェの村をあとにし、タンボチェ(3,870m)を目指すトレッキングの途中で日本最高所の富士山の標高を越えます。高所トレッキングは、毎日の高所順応の積み重ねが重要です。ゆっくりと歩くのはもちろんであるが、ネパールの乾期の乾燥した中、身体の水分はいつの間にか失われ、血液がドロドロになっていきます。だから水分を心掛けて飲まなければなりません。一日3Lの水分摂取が、高所順応において重要な予防策といわれます。また、ネパールの乾期(10月~5月)は、空気が乾いていることから日中と夜間の温度差が何十度もあります。そこに標高差による温度差も加わり、体温調整は難しい。常に体を冷やさないよう重ね着で衣服調整をしなければ高山病に掛かってしまいます。
エベレスト街道は、標高4,000mを超えると樹木も低くなり、やがて5,000mに近づくとなくなります。ナムチェから展望していた6,000m級のタムセルクやカンテガは、既に背後になり、ナムチェから独特の山容で存在感のあったアマダブラム(6,812m)も北側は形を変え、三角形の美しい山容になります。ナムチェから6泊目のロブチェ(4,930m)のキャンプ地を過ぎるといよいよ7泊目はゴラクシェップ(5,100m)を目指すことになります。ここは、眼前にヌプツェ(7,855m)を見上げる大迫力の場所であり、カラパタール(5,545m)へ往復する起点にもなる場所であります。この標高に到達するまでに順調に高所順応できていなければ、明日のカラパタール頂上への急登箇所は、たいへん厳しいです。ルクラからの長い道のり、低所では中々、高所順応の重要性を実感することができなかった方もあらためて5,000mの空気の薄さを感じることになると思います。

トゥクラ付近からのタウツェ(左)とチェラツォ(右)

カラパタール(5,545m)


ゴラクシェップからカラパタール往復は、所要時間が約7時間。距離は決して長くないですが、標高5,000m以上という高度が身体の動きを重くし時間を要します。少しでも焦って早いペースで歩けばすぐに息が切れ、休みたくなる。そのような歩行を繰り返しながらエベレストを臨む期待に胸を躍らせながら足を前に出します。エベレストは、この区間ヌプツェの陰に隠れてしまいカラパタールの頂上間近になるまで顔を見せてくれません。途中で一目でも見えるところがあればそこで折り返しても良いとおもう苦しさです。
カラパタール頂上手前、最後のひと登りの前にひと呼吸と止まり、背後を振り返るとそこには、エベレストのイエローバンドといわれる地層がはっきりと目視できる近さで聳え立っています。空は紺碧のような濃いブルーである。カラパタール山頂まであと少し、何度もエベレストがある後ろを振り返りながら登ります。カラパタール山頂は、なだらかな丘のような場所で最高の山岳展望が得られる場所です。誰もが、寒さや疲れを忘れ、その山岳展望に圧倒され興奮する場面である。山好きの方だったらこの景色に圧倒されないわけがありません。そこは、まさに世界一の絶景ともいえる場所です。

カラパタール山頂より、エベレスト(左)とヌプツェ(右)、アイスフォールをのぞむ

亀田 広明亀田 広明

東京本社
出身地:神奈川県