flag 岩崎元郎さんと行く “地球を遠足”シリーズ

2019.04.04

「来年はわが社も50周年を迎えるんですよ」
「50周年ですか、おめでとうございます」
「“地球を遠足”も12月4日発の台湾が96回だから、来年夏前に100回だね」
 昨年、“地球を遠足”の年内の企画をまとめ、翌年の企画を考えているときの会話。
 2004年の秋、現社長の芹澤健一氏より頂いた一本の電話から“地球を遠足”は始まった。海外の登山・トレッキングを一緒にやらないか、という。「面白いね、やろう」と、ぼくは即賛成、大好きなネパールをマナ板に乗せた。2005年3月24日〜4月3日、ネパールのアンナプルナ・ダウラギリ展望トレッキングがそれである。

写真1 岩崎さん顔写真

岩崎さん



 初めての海外は21歳、韓国の北漢山だが、これは先輩たちの計画に便乗しただけ。1980年頃、昭和山岳会を卒業したぼくは蒼山会同人という山岳会を創って、雨飾山の岩場開拓や南アルプスの沢登りに熱中していた。集会場になっていた喫茶店、池袋のアミは毎回あふれんばかりに山ヤが集まっていた。そんなガヤガヤの中から「ネパールに行かないか」という声が沸き上がり、1981年3月下旬から5月上旬の二か月、初めてのネパール、ニルギリ南峰登山が展開された。
 埼玉県山岳連盟の海外委員会に登山計画を出すことから始まり、飛行機の手配、現地エージェントとの連絡、なんでもかんでも自分たちでやった。アタック当日、ぼくはトランシーバーを傍らに置き、チャイを飲んでいた。「こちらアタック隊、ベースキャンプどうぞ」、聞けば、取付いた雪のクーロアールは陽が射すと雪崩の巣となり、メンバーは叩き落された。デブリに突き刺さったので問題無し、カスリ傷程度だという。ぼくは登山中止を決断、「帰ろ帰ろ、あした撤収してベースに下ってこい」と指示を出した。
 下の村からポーターが上がってくる頃には雪になった。ブルーシート一枚で夜を明かすポーターたちに胸が痛んだ。下山にはアンナプルナ1峰初登頂のフランス隊も緊張させた、トロブギン峠のやばいトラバースが待っている。ロープをフィックスし安全を期した。危険地帯を全員が無事通過し、村の仕事道まで下ったときは心底ほっとした。ラリーグラスの巨木が目の前にあった。真紅の花が目の中いっぱいに広がった瞬間、(あー、生きて帰れる)と実感した。そんなプレゼントをしてくれたから、ネパールは大好きな国になった。

写真2 第1回”地球を遠足”ネパール・プーンヒルにて岩崎さんと芹澤社長(2005年3月)-2

第1回”地球を遠足”ネパール・プーンヒルにて岩崎さんと芹澤社長(2005年3月)



 05年11月に2回目をニュージーランド、06年3月に3回目になるカナディアンロッキー、9月に4回目アラスカ・ノースフェイスロッジ、“地球を遠足”という愛称もできた。07年も2回、08年は5回、09年は7回と年々回数が増え、15年3月のマナスル西面展望トレッキングで64回、100回が視野に入った。100回目をどうするかが話題となり、「めざせ南極」がぶち上げられた。15年は8回、16年は9回、17年も9回、そして18年、冒頭の会話を交わしていた。南極のベストシーズンは11月、となると南極を100回記念とすることはできない。100回目はネパールと並ぶ海外の華、スイスアルプスハイキングに決まった。「めざせ南極」はどうなる。折しもアルパインツアーは創立50周年である。創立50周年に後押しされ、“地球を遠足”100回達成記念特別企画として「南極半島探検クルーズ17日間」が企画された。やったあ・・。
 アルパインツアーサービス(株)創立50周年、心からお祝い申し上げます。

写真3 第97回”地球を遠足”ラオスの集合写真(2019年2月)

第97回”地球を遠足”ラオスの集合写真(2019年2月)

写真4 第100回”地球を遠足”は2019年6月にスイス・アルプスへ(2013年6月マッタ^ーホルンをバッグに集合写真)

第100回”地球を遠足”は2019年6月にスイス・アルプスへ(2013年6月マッタ^ーホルンをバッグに集合写真)

写真5 第100回達成記念は今年11月に南極へ。南極半島に上陸しハイキングを楽しみます

第100回達成記念は今年11月に南極へ。南極半島に上陸しハイキングを楽しみます

岩崎 元郎さん

岩崎 元郎さん